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蝶樹の浅海人奇譚

to be or not to be anywhere to be that i will be … to be going to go on with the tortoise 'Saku' and my sincere companion , If justice is human love …

スティーブ・ジョブス、たいせつなひと

 小生が学生時代より30年間、このひとがいなかったらどんな人生、仕事、そして生活をしていたか、まったく想像できない。はじめてのパソコンを触れたのは、学生時代に実習室にあったTRS-80であった。専攻は情報工学であったため大型コンピュータの実習が多かったが、小生にとって科学計算も様々なシミュレーションもあまり関心の対象とならなかった。提供してくれた母校には申し訳ないのだが、ずうたいのでかい計算機には何もときめきを感じなかったのである。

 唯一夢中になったのが、研究室の片隅に鎮座したApple社のApple Ⅱであった。いかついコンピュータのイメージとは程遠く、異質な崇高なデザイン、映し出される映像美に、まさにエポックメーキングな神の道具箱のような強烈な印象を受けた。その記憶は小生の記憶に深く刻まれ、未だに色褪せない。学友たちは、時間を忘れたようにApple Ⅱのハードウェアやソフトウェアを弄るのに夢中であった。そのような情景を横目に見ながら。小生は経済的な問題から学費を捻出するために、退屈な授業は抜け出てフリー・プログラマとして雑誌へ記事投稿したり、秋葉原コンピュータショップへ自作のゲーム・プログラムを開発して資金稼ぎに多くの時間を投入した。4期生の頃は、某ゲーム・メーカーと専属のプログラマ契約し、新しいパソコンが各メーカーから出るたびに無償で開発環境を誰よりも早く入手して弄れる恵まれた時代が到来した。ただし、残念ながらそのときでもApple社のコンピュータは高嶺の花であって、日本のパソコン・メーカーの製品だけだった。当初からいつも心に抱いていたのは、「いつかはApple社のコンピュータのオーナーとなる」ということであった。

 それで現在、小生のまわりにはマック漬けの毎日があり、iPhoneiPadiPodApple社製の製品に囲まれている。ただその存在感は、無駄をとことん削ぎ落し、質素そのものだ。ビジョナリー・ジョブスの魂が製品の隅々まで宿っている。日本の禅にも傾倒した彼の精神の賜物ともいえる。また、カウンターカルチャーが与えた天からの贈り物だったのだ。ひたすら万民のためにコンピュータのコモディティ化を成し遂げたジョブス、たいせつな人が天に還って4ヶ月が経とうとしている。あなたがいなかったら、この世はとても色褪せた世界になっていただろう。ありがとう、スティーブ・ジョブス

 日本のテレビ放映にあった、スティーブを取り上げたなかで構成も特に問題ない動画がYouTubeにあったので貼付けます。時間が少し長いので、まったく触れたことのないひと、関心ある方はご覧になってください。



おやすみなさい。